百姓、という言葉について良いか悪いかという解釈の違いはあると思いますが、私自身は百姓という言葉に尊敬の念を込めています。
造園に携わる庭師は、植物の枝を切って調整する作業、根を掘って植え替える作業、竹を使って塀を作ったり支柱にしたり、土を使って山を築き、水を知り池を造り、石を使って土留めをしたり道を舗装したり、数多くの仕事を一人でこなす多能工なのですが、その全てに食べられる植物を育成する、というとてつもない能力を足した職業が農家、百の(多くの)スキルを持ち合わせる人、いわゆる百姓なのです。
畑に植物を植えて食べ物を生産する過程で、耕した畑から排出された石ころを単に無駄にするのではなく、土留めに使って畑の面積を更に広くする。斜面の畑としては使えない敷地も、石積みを施工し段々畑にする事で、生産面積を増やす事ができる。その生きる上での素朴でいて貪欲なパワーを畑の石積みからは感じます。
単なる丸い石です。それがいくつも積み重なる事で見せるテクスチャーは、手間を掛けた膨大な時間をストレートに表現しています。
積み方はいたって簡単。並べた石と石の隙間に石を挟んでいき、それを良い所まで繰り返す。そう、簡単です。言葉にすれば、ですが。
実際は石の大きさも形も違うのでなかなかキレイに上へあがっていきません。持ったその場でヒラメキを得てドンドン積上げて行かないと時間的にも掛かり過ぎてしまいます。
無理な積み上げは後になって決定的な致命傷になったりもしますので恐ろしい。
積んでいると分かるのですが、石を積み上げようと色々な向きに石を向けてはおいていると、ある時、石がコクッとハマる場所があります。そこが石が安定する場所です。強度が出ます。
しかし実際は、土が手前に流れ出ようとする力を、石を土に向かって斜めに積み上げていく事で両者の力のバランスを取り、石積みを安定させているのですが、石の性質上、あまり高く積み上げるのには向いていません。
道路の脇でよく見かける四角いコンクリートブロックを積み上げた擁壁。あの擁壁こそが石積みを極限まで強度が出るように、かつ効率化するようにしたものでして、並んだコンクリートブロックとコンクリートブロックの間にできたV字のすき間に、コンクリートブロックを差し込んでいく事で、互いのブロック同士の最大の面積を接することになり、隙間を完全にふさぎ、強度も出るのですが、百姓積みは基本的に畑から出た石を使うので丸い形をしています。つまり互いの石と石もわずかな接点で繋がっているのみですし、土にもたれ掛かっている状態なので思うような強度が出ないのです。
丸い石を使って、さも畑の中から出てきた石を使っているような表情を出すのが百姓積みの良い所ですし、裏込めといって石積みの裏にコンクリートで補強してしまえば、石の隙間から草が生えたり多少石積みが崩れたりする経年変化での味が出にくくなるでしょう。
庭で百姓積みを使おう!設計に盛り込もう!という際には、あまり高くない段差の土留めにしつつ、庭全体の構成がキリッとしておらず(してる、ではありませんよ)ふんわりとして素朴なイメージを出したい時などに効果的ではないでしょうか?
土留めとしては、既存の生垣はそのまま残すが庭の構成上現在の庭の位置より低くしなければいけない、それもそんなに高低差を出すわけではない、という場面などが想定されます。
いずれにしても、あまり庭の視点のメインに据えるのは良くありません。そこまでの力強さは無いので、あくまでわき役として庭の奥に目立たないようにある、という使い方がしっくりくるのではないかと感じています。
画一的ではない庭が欲しいが、今流行りの雑木の庭だとちょっとイメージ違うよな。
和の要素も入っているけどキレイすぎない崩しが入った庭が良いな。
と思われる方は、ぜひともご相談ください。