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有限会社舩越造園

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施工事例(進捗状況)

造園辞典コラムの記事

延べ段(のべだん)

延べ段とは敷石の一種であり、庭の一部に石を張りつめたもので、通路として使われます。延段と書かれることもあります。これと似たものに石畳や飛び石がありますが、石畳はどちらかというと道路を石で舗装するイメージで、飛び石は、延べ段と比べ石同士が離れて置かれています。

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延べ段は、使用する素材によって、大きく分けて真、行、草の3つの種類があります。

【真の延べ段とは】
石を加工して切り出した切石だけを使用して作られたもので、切石敷とも呼ばれます。長方形に切り出した石をレンガのように敷き詰めた煉瓦敷や、正方形の切石を石松模様のように敷き詰めた市松敷、短冊のように細長い切石を敷き詰めた短冊敷といった種類があります。直線的で硬いイメージがありますが歩行性はとても良く、公園の広い通路などによく施工されています。最も格調が高いと言われる向きもありますが、どうかなと思います。

【行の延べ段とは】
切石と自然石の両方を使用して作られたもので、寄石敷とも呼ばれます。短冊のような細長い直線的な切石と、丸い自然石を組み合わせて敷き詰めるのが一般的です。広く様々な場面で使われています。個人住宅などにも好んで使われているので、見かける事が多いかもしれませんね。真の格調高さと草の柔らかさの、両方を持ち合わせています。

【草の延べ段とは】
自然石だけを使用して作られたもので、玉石敷とも呼ばれます。小さい石を集めて敷き詰めたものを霰(あられ)こぼし、大きい石を敷き詰めた霰くずしと呼ぶこともあります。茶庭である露地などで多く使われています。非常に手間の掛かる作業なので、なかなか施工をする機会はありませんが、ぜひ大きな草の延べ段に挑戦してみたいものです。自然の石は丸みがあるため見た目が柔らかく、真や行と比べるとくだけた雰囲気となります。

延べ段は、人が通路として歩く場所です。そのため、歩きやすさが重視されます。自然石を使用するときは、凹凸が少なく平らなものを選んで使う必要があります。

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延べ段の大きな役割のひとつが、庭の装飾です。過去に作られた数々の建築物の庭園でも延べ段が採用されています。その中で有名なのが、江戸時代に作られ、日本庭園の最高峰ともいわれる京都市の桂離宮(かつらりきゅう)です。見事な庭園のあちこちに丁寧に施された延べ段は大変美しく、真、行、草、すべての種類がそろっているため見応えがあります。
私は学生時代、サークルの旅行で桂離宮を訪れ、ボランティアで掃き掃除をさせてもらった事があるのですが、繁茂する苔も見事な庭園でした。

延べ段の真、行、草、それぞれに特徴があります。自宅の庭に延べ段を作る場合も、特徴を生かすことで、思い描くイメージに近づけることができます。
玄関の近くは格式の高い真の延べ段にする、モダンな庭にしたい場合は行の延べ段にする、自然な雰囲気の庭を作りたいときは草の延べ段にする、といったことが可能です。延べ段が長くなる場合、敷き方を組み合わせることでアクセントにもなりますし、飛び石と組み合わせてもいいでしょう。また、石の色や質感によっても雰囲気が大きく変わります。
石と石の間をつなぐ目地は、コンクリートで固めることもありますが、苔(こけ)を使用することで和を感じる自然な雰囲気を作ることができます。
浜松ではなかなか苔が育ちにくいので、桂離宮のようなイメージにはいかないのが残念ですが、例えば用水路のコンクリートに生えている苔などを採取し目地に埋め込むと、雨の日などは非常に良い緑が出たりします。普段は赤茶けて枯れたようになっているので、来客などがある際は水を打って緑を鮮やかにしておき、訪問客へのもてなしにするのも良いでしょう。

柵(しがらみ)

柵と書いて「しがらみ」と読むのですが「しがらみ」というと世間のしがらみが・・・などと、あまり良い解釈で使われる事が無いですよね。

もちろん、語源はこちらのしがらみ。シッカリと打ち込んだ柱の前後を交互に縫っていくように、スラロームのように、主に竹を横に渡しながらこれまた前後のパターンを交互に積み上げながら高さを出して行く柵(さく)の事です。恐らく、このウネウネと交互に交わっている柵の様子と、人の世の社会性の複雑さを重ね合わせた比喩表現なのだと思います。

しがらみは、古くから川岸を保護する護岸や土が落ちて来るのを抑える土留めなどに使われていて、いわゆる土木工事ではよく使われていた工法でした。

しかし、工業製品化・近代化・安全面への配慮などからその活躍の場は庭のアクセントへと移っていきました。

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写真では割った竹を使っていますが、別に割っていなくても、そもそも竹では無くても一向に構いません。杭の前後を交互に曲げながら納めて行かなければならないので、曲げやすい部材が適している筈です。竹は繊維が強く、経年劣化しても腐って崩れにくい利点がありますので、土留めなどに使ったら二度と交換が効きそうもないような場所ではうってつけなのかもしれません。

作り方ですが、文字にするといたって簡単。

ある程度等間隔で打込んだ柱杭に端から当てて前へ後ろへと編み込みながら下へ下へと仕込んでいきます。

こうやって書くだけなら簡単なのですけどね。実際に作業するのは、なかなか骨の折れる作業です。一人でスイスイ施工するのは、ちょっと難しいかなと感じます。

用途としては、まず本格的に機能面で使っていく方法。

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コチラの写真は土肌が丸見えだけど様々制約などがあって草の吹き付けができない現場。

しがらみを数段重ねて空いた空間にはつる性植物を植栽。数年後にはズルズルとツルが伸びてきて基本的な土留めが完成、という目論見。

ここまで壮大にしなくても、例えば庭のちょっと奥まった空間で段差がある、または段差を設けたい、という時にはとても良い土留めになる筈。青竹が色褪せて黄色くなり、やがて白くなり、水でカビが繁殖して黒ずんできて、それでも繊維は失われないので土留めとしての役割はシッカリ果たしつつ、経年変化で積み重なった時間を表現できるのではないかと考えます。

ちなみに、この写真は宝林寺という寺院で施工させていただいたものです。

宝林寺サイト

https://www.oubaku.org/shosan/

また、仕切りとして使うのもいいでしょう。

その施工方法の特性から、前と後ろのテクスチャがあまり違わない、というか同じ表情をしているので、しがらみの表からも裏からも見えてしまう場所での仕切りとして使うのもいいのではないでしょうか。

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こちらの写真は奥山高原さんです。ササユリの園地があり、歩道と植生地を明確に分けつつも山間地の雰囲気を損なわないようにするにはどうすればいいかというオーダーから施工した場所です。

奥山高原サイト

https://www.okuhamanako.com/

一般家庭でも、北側の暗めな庭で高低差が欲しい時や、斜面を利用して庭を造る時などでメリハリの利いた高低差が欲しい時など、竹の持つ特性などからしがらみを取り入れるのはアリかなと感じます。

また、少し難易度は上がると思いますが、外壁として木材を使ったしがらみが施工されているお宅も散見する事ができます。

これはこれで、竹で編んでいく事を思えば更にしっかりした加工と施工技術が必要なのでしょうが、その塀はやはり周辺のアルミフェンスなどと比べると異彩を放っており、どこのお宅も存在感溢れる外構になっていました。

社会におけるしがらみは、できる事なら簡単に済ませたい所ですが、庭に造るしがらみは、シッカリと編み込んだものにしたいですね。

大和塀

柱と柱を繋ぐようにしてある横長の木材を、表と裏から交互に挟みながら板を打ち付けていく手法を「大和打ち」というのですが、この大和打ちを連続させて作った板塀のことを大和塀と呼んでいます。

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ちなみに、板と板の間に竹(この場合多いのはさらし竹と呼ばれる防腐処理の施された加工した竹)を入れてつくった塀を大和塀と呼ぶ事もあります。(私も大和塀と呼んでしまっています)

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今回は、この大和塀についてお話させていただきます。

まず、印象的なのは、何といっても焼いた板が何枚も何枚も使われている事です。

黒い、赤茶けた、まさに木の板を焼いて作るこの焼き板は、防腐剤の無かった頃に、防腐処理の一環として行われていたものでして、表面を焼いて炭化させるのですが、焼き過ぎてしまっては燃え尽きてしまうので(笑)その辺、焼き加減が重要になってきます。

当社ではガスバーナーや灯油バーナーなどを用いて焼いていますが、そういった道具の無かった昔は、一体どのように焼いていたんでしょうかね?恐らく焚火のようなところで炙っていたか、わらなどで火をつけて手早く表面だけ火を回していったか、なんにしても凄い技術力が無いと難しいんじゃないのかなと想像します。

一方、ガスバーナーや灯油バーナーは筒先と板との距離と筒先を動かしていくタイミングのコツを掴めば、あとはその通りに作業し続けるだけでいいので、昔の職人さんに比べたら、楽になったんじゃないかなと感じます。

素人目には燃えているんじゃないかなと不安になるかもしれませんが、燃えているんじゃなくて、焼いているのです。この違い、大事です(笑)焼けた板はデッキブラシなどでこすり、炭化した部分の粉を全てキレイに落とします。これで、焼き板の完成です。

柱を埋け込み、柱同士を連結する木材(胴縁と呼びます)でしっかり連結したら、いよいよ焼き板を打ち付けていきます。表側に1枚貼ったら、端と端が少し重なるくらいの位置関係で裏から1枚貼り、それをどんどん繰り返していきます。屋根にあたる部分をどうするかという問題がありますが、これは庭に似合うデザインと予算の都合である程度変わるので、板を大和貼りした段階で、大和塀としての仕事はほぼ、終わりになります。

焼き板とさらし竹を交互に貼っていく板塀の場合、これがなかなか根気が要ります。そして、算数の素養も要ります。

要は、片側の端から焼き板→さらし竹→焼き板→さらし竹→焼き板というように何も考えずに貼っていくと、反対側の角に来てとっても中途半端に式間が残ってしまう可能で胃が高くなってしまいます。折角上手に貼ってきても、最後の最後で変なスペースが残ってしまったのでは画竜点睛を欠き、無駄になってしまいます。

焼き板とさらし竹の感覚を何ミリとるのか?これはあらかじめ計算しておいて、その距離を胴縁に印をしておき、その通りに焼き板とさらさ竹を打ち付けて行かなければいけません。

焼き板とさらし竹の隙間の間隔は、広すぎず狭すぎず。広すぎると隙間から向こう側が見えてしまって何だか落ち着きませんし、狭すぎてはひょっとしたらちょっと太いさらし竹があったりすると打ち付けられなかったりしますので注意が必要です。

最後に、この大和塀のデザイン的な用途としては、まずは目隠しとして考えるのが妥当かなと感じます。板を焼くので黒っぽい色になりますので、明るく陽の当たる場所よりも少し暗めの日陰の方が、より雰囲気が出るかなと感じます。(もちろん、ひなたがダメとは言っていません)

板の輪郭やさらし竹など、非常にシッカリした直線ラインを持つテクスチャになりますので、強い直線に負けないような庭の構成にしないと浮いてしまいますので注意が必要だと思います。

 

百姓積み

百姓、という言葉について良いか悪いかという解釈の違いはあると思いますが、私自身は百姓という言葉に尊敬の念を込めています。

造園に携わる庭師は、植物の枝を切って調整する作業、根を掘って植え替える作業、竹を使って塀を作ったり支柱にしたり、土を使って山を築き、水を知り池を造り、石を使って土留めをしたり道を舗装したり、数多くの仕事を一人でこなす多能工なのですが、その全てに食べられる植物を育成する、というとてつもない能力を足した職業が農家、百の(多くの)スキルを持ち合わせる人、いわゆる百姓なのです。

畑に植物を植えて食べ物を生産する過程で、耕した畑から排出された石ころを単に無駄にするのではなく、土留めに使って畑の面積を更に広くする。斜面の畑としては使えない敷地も、石積みを施工し段々畑にする事で、生産面積を増やす事ができる。その生きる上での素朴でいて貪欲なパワーを畑の石積みからは感じます。

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単なる丸い石です。それがいくつも積み重なる事で見せるテクスチャーは、手間を掛けた膨大な時間をストレートに表現しています。

積み方はいたって簡単。並べた石と石の隙間に石を挟んでいき、それを良い所まで繰り返す。そう、簡単です。言葉にすれば、ですが。

実際は石の大きさも形も違うのでなかなかキレイに上へあがっていきません。持ったその場でヒラメキを得てドンドン積上げて行かないと時間的にも掛かり過ぎてしまいます。

無理な積み上げは後になって決定的な致命傷になったりもしますので恐ろしい。

積んでいると分かるのですが、石を積み上げようと色々な向きに石を向けてはおいていると、ある時、石がコクッとハマる場所があります。そこが石が安定する場所です。強度が出ます。

しかし実際は、土が手前に流れ出ようとする力を、石を土に向かって斜めに積み上げていく事で両者の力のバランスを取り、石積みを安定させているのですが、石の性質上、あまり高く積み上げるのには向いていません。

道路の脇でよく見かける四角いコンクリートブロックを積み上げた擁壁。あの擁壁こそが石積みを極限まで強度が出るように、かつ効率化するようにしたものでして、並んだコンクリートブロックとコンクリートブロックの間にできたV字のすき間に、コンクリートブロックを差し込んでいく事で、互いのブロック同士の最大の面積を接することになり、隙間を完全にふさぎ、強度も出るのですが、百姓積みは基本的に畑から出た石を使うので丸い形をしています。つまり互いの石と石もわずかな接点で繋がっているのみですし、土にもたれ掛かっている状態なので思うような強度が出ないのです。

丸い石を使って、さも畑の中から出てきた石を使っているような表情を出すのが百姓積みの良い所ですし、裏込めといって石積みの裏にコンクリートで補強してしまえば、石の隙間から草が生えたり多少石積みが崩れたりする経年変化での味が出にくくなるでしょう。

庭で百姓積みを使おう!設計に盛り込もう!という際には、あまり高くない段差の土留めにしつつ、庭全体の構成がキリッとしておらず(してる、ではありませんよ)ふんわりとして素朴なイメージを出したい時などに効果的ではないでしょうか?

土留めとしては、既存の生垣はそのまま残すが庭の構成上現在の庭の位置より低くしなければいけない、それもそんなに高低差を出すわけではない、という場面などが想定されます。

いずれにしても、あまり庭の視点のメインに据えるのは良くありません。そこまでの力強さは無いので、あくまでわき役として庭の奥に目立たないようにある、という使い方がしっくりくるのではないかと感じています。

画一的ではない庭が欲しいが、今流行りの雑木の庭だとちょっとイメージ違うよな。

和の要素も入っているけどキレイすぎない崩しが入った庭が良いな。

と思われる方は、ぜひともご相談ください。

 

古銭鉢

円形をした水鉢の中心に水をためる穴を四角く開け、古い硬貨(古銭)に見立てた水鉢です。

水鉢というのは主に茶道の席で手を洗う水を溜めるためにあるアイテムで、様々な形状をしたものがありまして、その中の1ジャンルである古銭鉢も、四角い穴の周囲に描かれる模様は様々あります。

何も描かれていなかったり、梵字が描かれていたり、はたまた輪郭が円ではなく八角形だったりと、本当にバリエーション豊かなのですが、その中でも最も有名なのが、真ん中の四角い穴を口(くち)という漢字に見立て、上から時計回りに「吾唯足知」となるような意匠を作り「われ、ただ、たるを、しる」と読ませる「知足の古銭鉢」が最もポピュラーで有名なものになります。この知足の古銭鉢、あまりにも有名で、今では全国各地、本当に無数のイミテーションが存在するのですが、実はオリジナルは京都の竜安寺にある水鉢で、水戸光圀が寄贈したと言われています。

竜安寺と言えば、砂利と石で構成されたあの庭が有名なのですが、そちら側ではなく、その裏といいますか北側にある庭にその古銭鉢は据えてあります。

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この写真は、当社のモデル庭園にあったものです。今では解体済みで、この古銭鉢もお客様の手に渡ったのですが、長らく当社敷地の一角にひっそりと据えてありました。

使い方としては、やはりこのように、水を溜める部分として使うのが今でも一般的で、最近ではその意匠の哲学性などからオブジェとしての役割を重視した使い方もあります。

もともと、日本庭園を構成するパーツはひとつひとつに意味を持たせてあることが多く、この知足の古銭鉢に関して言えば、「われ、ただ、たるを、しる」というワードをどう解釈し、どう庭に反映させるかが表現として面白いものになると考えています。

「私は、今この状況が非常に満ち足りた状況であるという事を認識しなければいけない」これは、「われ、ただ、たるを、しる」について自分なりに考察した私自身の考えなのですが、今の状況は見る角度によっては非常に不幸に見えるかもしれないし、別角度で見ればとても満ち足りた状況にもなる。今の立場を投げくのではなく、今の立場を感謝し、この歳まで健康で生きて来られた事を感謝し、尊大にならず、しかし卑屈にもならず、新しい未来に向かって自分にできる事を行っていこう、というメッセージを、私はこの知足の古銭鉢から受け取っています。

この事についてあえて大きく声を上げて公表するつもりもなかったのですが、折角の機会ですのでこのように述べさせていただきました。これを私の思いからお施主さんの思いへとバトンタッチをする際にどういう思いを繋げる事ができるのでしょうか?

例えば、お庭の設計のご依頼を頂いて、ヒアリングをさせて頂いたとします。その方は古き良き日本というものをある意味大切になさっていて、真心を失ったような振る舞いが多い感じのある現在の日本に憤りを感じておられる。と、します。だったら、満ち足りた自身の立場とその状況を作ってくれた周囲に感謝するというこの知足の古銭鉢に込めたメッセージを使って、あえて鉢を水平に据えずに、一部地面へ斜めにめり込ませて地面に刺さっているように見せ、苔を張り、朽ち果てる寸前のような雰囲気を作り「嗚呼、日本の美しい謙譲の心は、今やこの有様である」という強烈なメッセージをお施主さんの心の代弁として発信する事もできます。(もちろん、そんな大それた事はしたことがありませんし望まれるとは思いませんが・笑)

古銭鉢とは古い銭を形どった水を受ける鉢であり、そこに秘められたメッセージは人の数だけ解釈があり、その解釈をお施主さんに渡す際、更に無数の解釈へと広がるのです。

あなたの特別な庭の解釈を設計者と練るのも庭を持つ過程での楽しさかもしれません。

 

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